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2015年1月31日土曜日

■こころが宿る郵便局

一度つくったものを壊すのは簡単だが、元通りにつくることはむずかしい。
地方をながめていると、よくぞこの建物を遺してくれたと拍手を送りたいものがある。

奈良県宇陀市榛原比布の旧伊那佐郵便局もそのひとつだ。
旧伊那佐郵便局は1934(昭和9)年築。木造瓦葺き2階建て(80平方メートル)。

昭和初期の農村での郵便事業の様子を伝える建物で、現在は1階が飲食店、
2階が雑貨店、事務室になっている。


銀行は柱がエンタシスになっていたり、シャンデリアがぶら下がっていたり、
どこか重々しさがただよう風格、威厳が感じられるものが多いのに対して、
郵便局はもっと庶民的で、ちょっとハガキでも出しに行ってみっか的な親しみがある。

旧伊那佐郵便局も外観といい内装といい、実にフレンドリーで心がなごんでくる。
旧道沿いに位置し、当時はたくさんの商店や役場、診療所、駐在所などが並んでいた。

まわりがさびしくなっていく中で、なんとか郵便局の建物を修復にこぎつけた。
中に入るとシェフが毎日入れ替わるレストランがあり、愛情たっぷりのランチがいただける。

地元食材を使ったものからマレーシア料理、イタリアン、和食など、
日によってどんな料理に出会えるか楽しみだ。


かつては封書やはがきなどに村の人々の思いが綴られ、ここから全国へと届けられた。
逆に村外の人たちからの思いも郵便局を通して村人へと手わたされた。

そうした、ほっこりとした思いをずっと大切にしていくかのように、
レトロな建物からあたたかい心づかいが伝わってくる。

http://www.inasayuto.com/index.html
伊那佐郵人(いなさゆうと)

2015年1月30日金曜日

忍者でござる

日本三大忍術伝書というものがあり、そのひとつが1681年に名取三十郎正澄が書いた
「正忍記」で、忍者に必要な装備や技術、心得などが記されている。

忍者といえば伊賀、甲賀を連想することが多いが、なにもこの二つだけではない。
和歌山県=紀州にも紀州忍者がいて、和歌山市は紀州忍者の情報発信に力を入れている。


先に記した「正忍記」は紀州忍者の教科書になったとの説もある。
2012年に正忍記の著者である名取三十郎の墓石や位牌が和歌山市の恵運寺で見つかった。

この紀州忍者の指南役とも言える名取三十郎をキャラクター化しようとか、
正忍記を子どもでもわかるように絵本化しようといったことが検討されている。


さらに、イギリス在住で日本の兵法研究家であるアントニー・クミンズさんを招いて、
講演会を開催し、「忍び」の本質を語ってもらったとか。

本来、日本人の研究家が講演すべきなのだろうが、忍者はじめ日本の武術や美術などは
外国人愛好家が多く、本家本元以上に詳しくうんちくに富んでいるということなのか。

そのクミンズさんは「忍者の空想的なイメージではなく、本物がどんなものだったのかを
伝えたい」と、本質を見極めようとする姿勢に貫かれている。


地域おこしのために難解な部分はあまり表に出さないで、キャラクターや絵本など
ゆるくやさしい流れで誘導しようという方法もわからないではないが、
本質部分ときっちり向かい合っておかないことには一過性のものになってしまいそうな…

手裏剣をビンビン投げまくるより、藩主の特命を受けての諜報活動とは
どんなものだったのか、リアルな世界に迫ったものに心ひかれることもある。

http://www.sankei.com/west/news/130509/wst1305090084-n1.html
“紀州忍者”の墓石発見のきっかけは英国人研究者!

2015年1月29日木曜日

開け、ニワ!

まだ厳しい寒さが続いているが、ここを乗り切るといろいろな花が咲き始める春がくる。
色とりどりの明るい花々はこころをはずませるし、世の中をパッと明るくしてくれる。


陽気にさそわれてまちを歩いていると、思わず立ち止まってしまうほど
よく手入れされていて、綺麗にコーディネイトされた庭を見かけることがある。

ガーデニングブームも手伝ってか、こうした家が多くなったような気もする。
そして、この庭を家族だけで楽しむのはもったいない、一般に公開しようという動きもある。

オープンガーデンという活動で、ガーデニングの聖地であるイギリスで75年ほど前に起こった。
日本でも2006年に「オープンガーデンガイドブック~日本初個人の庭めぐりガイド」と
いう本が出た。


こうした活動が盛んなのは埼玉県で、皆野町では10軒ほどの庭が
ホームページで公開されている。
ホームページには庭ごとに草花の名前や見頃、地図などが掲載されている。

横瀬町では70人ほどが活動し、中には見学に訪れた客にお茶をふるまったり、
花の種を配ったりするところもあるという。

さらに、北本市や川口市もそうした活動が盛んで、行政がバックアップしたり、
官民でガーデニングの輪をひろげている。


花を見る、花を描く、花を写す、花を詠むといった花と絵画や写真や詩歌とのつながり、
花見て一杯、花を愛でながらの宴など花と食とのつながり…

花をご縁に結ばれていくものを考えると、庭を開いたことで新しいことが生まれてきそうである。

https://www.city.akiruno.tokyo.jp/0000001632.html
あきる野市のオープンガーデン

2015年1月28日水曜日

再来あるか、デパ屋

昭和30~40年代、年に何回か街のデパートへ連れて行ってもらうと、
買い物よりなにより楽しみだったのは、デパートの屋上で遊ぶことだった。

といって田舎のデパ屋では、メリーゴーランドもコースターもなかったと記憶するが、
なぜかしら屋上は子どもの天国みたいな雰囲気がただよっていた。

当時は、デパートのまわりに高いビルもなく周囲を見渡せるだけでも
天国に来たような気持ちになれたのかもしれない。


そして長い歳月を超えてデパ屋の現状はどうなのだろう。
屋上緑化で庭園になっていたり、自販機が所在なげにたたずんでいたり…

そうしたデパ屋に再びにぎわいを!と発足したのが「福屋あおぞら研究会」である。
福屋は広島市の中心部にある最も古いデパートで、開業から屋上遊園地があった。

しかし、少子化やレジャーの多様化を受け、2008年遊具を撤去した。
現在は休憩スペースになっていて、夏場はビアガーデンとして使っている。


もっと有効な活用策はないかと研究会メンバーが知恵を絞り、
出てきた答えが文化の発信基地にできないかというもの。

音楽が奏でられる、絵画にふれあう、多彩なアートに出会う…
そうした文化や芸術、そこに集う人々が発するライブ感やムーブメントを発信していく。

広告を習った時に、デパートの催事場はなんで最上階につくるのかという話があった。
お客さんを最上階まで押し上げれば、1階ずつ下の階へ降りて来るので、
買い物の頻度が高まる、これをパラシュート効果というものであった。

デパ屋がにぎわえば、中間の階にもおこぼれがということなのだろうが、
思惑通りの効果が期待できるのであろうか?

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20111004-00021647-r25
足湯に神社、貸農園…。進化する「デパ屋」

2015年1月27日火曜日

食に物語をつけて歴食

熊本城を観光すると、城そのものを見るだけではなく、本丸御膳を食べることができる。
本丸御膳とは、熊本城本丸御殿の大御台所で振る舞われた約200年前の武家の儀礼料理。

1日限定50食、前日までの予約なのだが、なかなかの評判らしい。


こうした昔の食を復活させて、名物に仕立てあげる試みの中で、
大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台山口県では「歴食」という新たな食のジャンルを打ち出す。

歴女があって歴食、考えられない流れでもないが、
歴食とは、名前のごとく歴史的なストーリーを持つ料理のことである。

その歴食はすでに「平成大内御膳」として進められてきている。
平成大内御膳は1500年に、大名大内義興が室町幕府の前将軍足利義稙をもてなした
料理の復刻版で、干しナマコやアワビなどを使って忠実に再現した。

これまで、平成大内御膳を約1ヶ月のキャンペーン期間中のみ提供してきたが、
県内外に知られるほどのインパクトがなく今に至っている。

そこで、取り組みを強化しようと、奥州藤原氏時代の料理「奥州藤原膳」(岩手県一関市)、
戦国武将・上杉謙信が部下のために用意した「謙信公のかちどき飯」(新潟県上越市)など
全国6地域を視察するなどしてサミットの開催やネットワーク化などを図っている。

名物と言われるものには歴史がある。かといって歴史(物語)をつけたから
名物になるとは限らない。このあたりのサジ加減は大丈夫なのだろうか。


http://stsplaza.exblog.jp/23868807/
熊本本丸御膳

2015年1月26日月曜日

パン祖からひろがっていく

江川太郎左衛門といえば江戸時代後期の西洋流兵学者で、伊豆韮山の代官であった。
西洋列強が開国を迫る中、品川のお台場を造ったり、韮山に反射炉を設けた。

この江川太郎左衛門こと江川坦庵は、日本でパンを作った最初の人でもあった。
西洋人がもちこんだパンを見た坦庵は、これは携帯できるから戦時食になると考え、
「兵糧パン」なるものを製造した。


いわばパン祖である。この祖を讃えようと静岡県伊豆の国市四日市町の韮山時代劇場で
この17,18日の2日間「パン祖のパン祭り」が開催された。

パン祭りでは、パン食いゲーム、地獄のパン食いゲーム、パン当てゲーム、パン生地のばし、
さらにはパン祖を訪ねるいちごウォーキングなどがもりだくさんである。

なかでも、全国高校生パンコンテストや全国有名パン屋さんのパン販売会など、
伊豆の国市だけにとどまらず全国から参加できるイベントのしかけをつくっていることである。

全国公募となると、言うはやさしいものの行うには準備段階から頭を悩ませることが多く、
主催者としては本番までハラハラドキドキの毎日である。


さらに、韮山の反射炉は明治日本の産業革命遺産の構成資産の一つとして
世界文化遺産登録をめざしていることを前提とした気運を盛り上げるイベントでもある。

江川坦庵⇒パン祖⇒全国高校生パンコンテスト、全国有名パン屋さんのパン販売会
江川坦庵⇒韮山の反射炉⇒世界文化遺産登録

という江川坦庵から国内軸と国際軸がひろがっていくという物語が見えてくる。

http://www.izunotabi.com/jpn/events/2014/11/index.html#746
 第9回パン祖のパン祭開催!

2015年1月24日土曜日

毎日がサドンデス


ケジメをつける、覚悟を決める、終止符を打つ…
ものごとを終わりにする時の決断はむずかしいし、だれもが悩んでしまう。

島根県雲南市にある「劇団ハタチ族」は、今年の元旦から大晦日まで、
毎日一日も休むことなく演劇を上演する。

しかし、もしお客さんがゼロの日があったら、その日で上演を止めるという。

劇団ハタチ族のメンバーは俳優6名、裏方3名である。
二十歳代が中心とはいえ、仕事と掛け持ちの団員も多いのに。


だいたい演劇の公演は土日に開催されることが多いが、
商売をやっていらっしゃる方などは土日が忙しく、ウィークデーが観劇には好都合だ。

事実、平日に劇団ハタチ族の公演を観て、演劇の楽しさを実感した商人もいたとか。
演目も同じものを365日かけるのではなく、変えていくらしい。

現在のところ、平日は観客がひとけたという日が多いが、
週末は20人以上入ることが多いからまずまずのスタートである。

でも、今日100人入ったとしても、明日はゼロということにもなりかねない。
しかも、大都市圏ではなく地方というハンデもある。

劇団の西藤将人代表は言う。
「逆境の中だからこそ自分たちも成長できる。雲南でしか、ハタチ族でしかできない
 演劇を1年かけて見つけたい」と。


こうした一発終了というサドンデスの手法は、
もっといろんなプロジェクトに導入されていいのかもしれない。
妥協、惰性、怠慢というあまりにゆるい状況に、ビビッと緊張をもたす意味では。

http://20zoku.jp/
劇団ハタチ族

2015年1月23日金曜日

特効薬としての医療ツーリズム

難病を患っているが、近くに適当な病院がないために遠くの病院まで足を運んでいる、
といった方は少なくあるまい。

日本へ観光ビザでやって来たけど、急に体調を崩し日本の病院の治療を受けたいので、
急遽、観光ビザを医療滞在ビザへ切り替えたといった例もある。

医療滞在ビザだと保険が適用されないので、かなり高額になることは否めない。


そうした突発的な疾患の治療だけではなく、持病を治すために日本の病院にかかりたい
という外国人は多い。

2012年度に野村総合研究所が行ったアンケートでは、東京で25の病院が、大阪では8、
そして、北海道では6の病院が外国人患者を受け入れている。

北海道が6というのはロシアに近く、国際医療交流によってロシアの病院と医療提携を
結んでいるからで、脳梗塞患者など200人以上を受け入れている。


人口減少、過疎化によって地方の病院は患者の数が減り、維持に大変なところが多い。
そこで、地域医療活性化の方策として出てきたのが、外国人患者を受け入れる仕組みである。

医療(メディカル)ツーリズムと言われ、2010年6月に閣議決定された「新成長戦略」の
一つに位置づけられている。

しかし、名所を訪ね名物を食べてという一般の観光とは異なり、
外国から来るお客様は病を治し、健康を取り戻しに来るわけだから、
地方の病院が、すぐに受け入れ体制を整えるには多くの困難を伴うにちがいない。

クリアすべき問題は多いが、うまくまわっていけば医療の国際貢献と地方の活性化の
特効薬となる可能性は高い。

http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/feature/CO003962/20130911-OYT8T00399.html
医療観光滞在

2015年1月22日木曜日

300年の時を経て

「ササゲ」という豆があり、その種に属する「マサラ」は緑色の豆で生命力が強い。

豆類を長きにわたって研究されている長崎大学の永田保夫教授によると、
マサラは成分的には大豆と春雨などの原料となる緑豆の中間に位置するという。

タンパク質や食物繊維は大豆に近く、炭水化物が多く脂質が少ない点は緑豆似だとか。
マサラには抗肥満化作用があるのではないかとマウスを使った実験が進められていて、
その可能性を感じさせるデータが集まりつつあるらしい。

将来に期待できそうな豆であることは確かだ。


ではマサラがどこでできるのかというと、長崎県の対馬で復活させたというニュースを見た。

若者らでつくる地域おこし団体「對馬次世代協議会」のメンバーが、昨年の6月初旬に
保管していた種をまいて、8月下旬から徐々に収穫を始めた。

対馬では、すでに300年ほど前からマサラが栽培されていて、
昔はぜんざいに入れて食べていたという記録が残っている。

地産地消の典型的な産物であったマサラが、長い歳月を経て復活できたのは、
4年前に地域住民から「何とか将来もマサラを残せないか」という相談がきっかけだった。


マサラのように、ある地域で昔はあたり前のように作られていた産物が、
換金作物とならない、今の時代に合わないといった理由で消えてしまうことが多い。

ところが、地域に根づいた作物は土地に合った、水に合っただけではなく、
地域の人々の愛情、いたわり、やさしさといった慈しむ心が大きいのではなかろうか。

自然と人が揺らすゆりかごの中で、マサラの種はどんな夢を見るのだろう。

http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20141209-OYT8T50212.html
対馬の豆「マサラ」

2015年1月21日水曜日

人を招く古代文字

福島県喜多方市といえば、ラーメンを思い浮かべる人も多いだろう。
歴史好きな方は、たしか「蔵」が多い町だったんじゃないかと思うかもしれない。

そうした町の資源に加わりそうなのが、なんと「古代文字」である。
なぜかと問う前に、まずは喜多方のまちをぶらりぶらりと歩いてみよう。

生花店、お茶屋さん、そしてラーメン店などなどいろんなお店の看板をよ~く見ると、
屋号の横に実に味わいのある古代文字が見つかるはずである。


不思議な古代文字は、約3000年前に作られた漢字のルーツであるという。
こうした判読しずらい文字というのは、見る人にとっては気になってしかたがない。

お店に寄ったついでに「すみませんが、お店の看板のあの文字は何と読むんですか?」
といった質問から会話が生まれ、ほっこりとした時間が流れるかもしれない。


私ごとだが、北海道へ旅行した時に「留辺蘂」という地名が読めず、
乗り合わせたバスの運転手さんに尋ねたら、親切に「るべしべ、だよ」と教えてくれ、
観光バスでもないのに乗車中ずっとガイドをしてくださったことを思い出す。


この古代文字を地域おこしに使えないかというアイデアが飛び出したのは、
2009年福島県喜多方建設事務所が呼びかけた地域づくり懇談会であった。

アイデアマンは「喜多方を漢字のまちにする会」顧問の篆刻家高橋政巳さん。
その後、同会を中心にフォーラムや創作漢字コンテストを開いたり、
まちにある200箇所近くの看板をめぐる古代文字ミステリーウォークなどなど
いろいろなイベントを仕掛けて漢字のまち喜多方の知名度がアップしている。


特別お金のかかる箱物をつくるわけではなく、看板に古代文字を添えるだけで、
地域の人たちの心がひとつとなり、地域外からお客様がやってくる。

なかなかグッドなアイデアである。

http://kanjinomachi.com/about
漢字の喜多方

2015年1月20日火曜日

東北はひとつ

東北の大震災以降、一日も早い復興へ向けての取組みが続けられている。

被災者でしかわからない苦しみや辛いことがあると思うが、
被災地から心あたたまるホットなニュースが流れてくると嬉しいものがある。


先般、岩手、秋田、福島、宮城の地ビール会社4社が手を取り合って、
オリジナル銘柄のビールの製造を始めるという新聞記事を見た。

ビールの名は「東北魂ビール」で、どんな困難にも打ち克つ東北人の
がまん強さという思いがこめてあるのだろうか。

4社の中の岩手の蔵元は工場が倒壊し約3ヶ月ほど出荷ができなかった。
秋田の蔵元の醸造長の実家は気仙沼市で、津波火災で全焼した。
さらに福島の蔵元は福島第1原子力発電所の風評被害で製造量が半減した。

そうした困難にも負けず、4つの蔵元が手を組んでひとつの味を追求した。
東北はひとつという思いとともに、東北のクラフトビールは他県に比べて
いささか元気がないと思ったことがきっかけだったとか。

話題作りだけではなく、4社間の技術交流、情報交換という実務面での
スキルアップなどが織り込まれているのは言うまでもない。

今回、開発したビールは第3弾で、名前を「いぶりエール」という。
いぶりエールは、秋田名物のいぶりがっこ(燻製たくあん)にちなみ、
薫製の麦芽を使ったスモークブラウンエールだとか。
寒い冬に、ゆっくりと味わって欲しいビールである。

http://www.jbja.jp/archives/9539
東北魂ビール

2015年1月19日月曜日

こんなはずじゃ…

オレオレ詐欺や架空請求詐欺など悪質な犯行が後を絶たない。

警察や行政、金融機関でも犯罪防止について啓蒙、啓発に努めているが、
虎の子の金を振り込んだというニュースはよく耳にする。

なんでそんなに簡単にだまされるの、と思ったりもするが、
やはり自分の子や孫のことを電話口で告げられれば、
ふだんの思考回路とは異なって、ついつい相手の言いなりになってしまうのだろうか。


北秋田署はこうしたオレオレ詐欺などの防犯に役立てようと防犯ソングを作った。
歌詞のワンフレーズが紹介されていたが、
 ♪お金が要るというけれど慌てちゃダメよ!「オレ、オレ!」ダレ、ダレ?−−
というもので、グループサウンズ調のメロディだという。

こちらは犯罪に巻き込まれる一般庶民、社会へのメッセージだが、
福岡県警組織犯罪対策課がつくった暴力団排除漫画というのもある。


「こんなはずじゃなかった…」というタイトルのストーリー漫画で、
小さい頃は成績も良く幸せだった少年が、ある日を境にグレてしまい、
不良グループと付き合い、ついには暴力団員となって悪行をくりかえす。

その先は実際の漫画を読んで欲しいのだが、こうした人生の裏街道を歩き、
世間に指さされ、家族からも見放され、
気づいた時には取り返しのつかないところまで来ていた人もいるだろう。

あまり、よろしくない例で恐縮なのだが、酒気帯び運転などで短期免停となると、
短期講習の中に、こうした情でもって反省、更正を促す映画の鑑賞などがある。

実際に我が身に置き換えて考えるようなシチュエーションになっていて、
もう、こんなことは二度とゴメンだと思ってしまう。

http://www.police.pref.fukuoka.jp/boutai/sotai/bouhai/comic.html
こんなはずじゃなかった…

2015年1月17日土曜日

ウソを何に替えますか?

センター試験期間で、試験に臨むにあたって神社へお参りした人も多いだろう。

学問の神様菅原道真をまつる天神様には、いろいろな合格を祈願する縁起物があり
受験生やご家族の神にもすがりたい気持ちが伝わってくる。


また、天神様には「鶯(ウソ)替え」という神事があり、
これは去年一年まつった木彫りの鴬を年の始めに新しいものに取り替えるものだ。

なぜ鶯なのかということだが、
蜂の大群に襲われそうになった菅原道真を鷽の群れが蜂を食べて救ったという説、
天満社を建てるための材木を食い散らかしていた虫を鷽が退治したという説がある。

また、鶯という漢字は「學」に似ていて学問の神様にふさわしい鳥ともいわれる。

学問の神様菅原道真公は藤原時平の「嘘(ウソ)」によって都を追われた。
その嘘を晴らそう(ウソを替えよう)ということで「鶯(ウソ)替え」の神事に
つながったのではないかとの説もある。

由来はともかく、去年一年の苦しかったこと辛かったことをウソにして、
今年は幸せいっぱいの吉に替えるという意味合いの神事となった。


あちこちの天神様で「ソウ替え」神事は引き継がれているが、
大分県日田市坂井町の天満宮では年明けの1月2日に開催された。

高さ10cm、直径5cmほどの木に大きく開いた口と目が描かれ、
木のまんなかあたりに幹を削って羽をつけたウソは妙に愛嬌がある。

これが一本100円というお手頃な縁起物なのに、ウソをつくる坂井町壮年会では、
ウソの底の部分に通し番号をふって、くじ引きで当選した人には景品を
あげるというお年玉を用意してくれている。

地元の伝統ある行事に、こうしたささやかだが心温まるプレゼントはグッドである。

https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/01/03/212608662
ウソ替え

2015年1月16日金曜日

終った後をどうする?

人気になったり、一時的にはやったりした時にブームという言葉を使う。
ブーム(boom)の語源は蜂がブーンブーンと舞う羽音からきてるとか。

にぎやかな舞台の上で絶頂を極めている時はいいけれども、
ブームというのはそうそう長くは続かない。

よって賞味期限が切れる前に、次のニューフェイスを送り込まないといけない。

ブームが作り上げられるのは、メディアに負うことが大きい。

日曜夜のNHKの大河ドラマもそうしたメディアの一つだが、
歴史を掘り起こしてなんとか地元が舞台の大河ドラマを放映できないかと、
各自治体がし烈な競争をくりひろげている。


昨年の大河ドラマは「軍師官兵衛」で、黒田官兵衛にゆかりのある福岡、
姫路、中津などがドラマの随所に出てきた。

大分県の豊前国中津黒田武士顕彰会はドラマの放映期間中に
ゆかりの地をめぐるバスツアーの開催や会員自作の詩や踊りを披露した。

こうした活動が年間95回というから、本気モードである。
そして、大河ドラマが昨年末に終わり、問われるのはこれからである。

ドラマに登場した宇都宮氏が拠点とした福岡県築上町との交流はじめ、
官兵衛がらみで生まれた接点は多い。

そうしてつながったものがドラマ放映期間という一過性ではなく、
ドラマを機に末永く強い絆で結ばれていくよう親睦を深めていくという。

こうした活動は得てして消滅しがちなので、
歴史という枠にとらわれない暮らしや産業、文化、芸術など
あらゆる分野を総動員しての活動が必要なのかもしれない。

http://blog.goo.ne.jp/kuroda-bushi
豊前國中津 黒田武士顕彰会

2015年1月15日木曜日

妖怪とのつきあい方

地方活性化といえば、すぐゆるキャラを作りましょうという話が出る。

ところが、ゆるキャラブームもそう長いことないでしょう、
次に来るものを考えた方が…などという話に落ち着いて、
次に来る何かが出なくて頭をかかえこんでいる人も多いことだろう。

ゆるキャラがキャラクター界のバラエティ芸人であるとしたら、
ブラックジャックや名探偵コナンとかは正統なアニメヒーローである。


そうしたヒーローもので、モンスター、お化け、妖怪というキャラで描かれてきた
物語も数多い。

ゲゲゲの鬼太郎に代表される水木しげる作品はフィクションの世界から抜け出て
鳥取県境港市の観光や地域の活性化におおいに役立っている。


こうした妖怪ものでいえば、子どもに大人気の妖怪ウォッチがあり、
昨年は大ブレークし、年末年始のイベントは大にぎわいだった。

妖怪ウォッチの作者である小西紀行さんは長崎県島原市の出身で、
島原はじめ長崎県には妖怪伝説が数多く残っている。

長崎県の北部にある平戸。藩政期に16歳の若さで平戸藩主になった松浦静山は、
学芸大名と言われるほど学問好きで、彼の随筆集「甲子夜話」には、
生い立ちから大名の生活、それに奇人や怪奇談が数多くつづられている。

好奇心旺盛で博学だった静山は妖怪話に興味をいだき、
河太郎(かっぱ)の話、ろくろ首、天狗の話など聞き知ったものを残している。

こうした歴史上の宝が、現在の妖怪ウォッチブームにのっかって、
地域を輝かせるものとなりはしないか。

長崎に限らず、妖怪とのつきあい方をどうしていくのか、今後に注目したい。

http://www.yamashiro-info.jp/youkai/index.htm
人と自然と妖怪がまったり暮らす徳島県三好市山城町

2015年1月14日水曜日

適度に人の手を入れる

世界農業遺産という認定制度があり、2002年に創設されている。

FAO(国際連合食糧農業機関、本部:イタリア・ローマ)が認定し、
農業のシステムを評価するものである。

現在、国外ではインドのサフラン農業、中国の水田養魚などなど。

日本では、新潟県佐渡のトキと人の共生による豊かな生態系や景観保全の取組み、
石川県能登地域の棚田が並ぶ千枚田による里山・里海の保全活動が認定されている。

2013年には熊本の阿蘇と大分の宇佐、それに静岡県の茶草場農法が加わった。


最後にあげた静岡県の茶草場農法とはいったいなんなのか?

茶園は庭師が刈り込んだ庭園のように美しいが、その茶園の畝の間に
刈り取ったススキやササなどを敷いていく茶どころ静岡ならではの農法である。

こうした草を敷くことによって、お茶の品質が良くなることから、
手間ひまかかるが、静岡の茶農家は伝統の農法を守り続けてきた。


あえて静岡の茶農家と強調したのは、もともとこうした人の手によって
維持管理されている「半自然草地」という環境は日本の里山のどこにも見られた。

刈り取った草を肥料として田や畑に入れたり、かやぶき屋根の材料にしたり…

それが近代化とともに里山の資源が使われなくなり、人の手も入らず、
半自然草地は急激に減少の一途をたどっていく。

そうなると、半自然草地に棲みついていた動物や植物などが絶滅の危機に陥る。

秋の七草のうちカワラナデシコやオミナエシ、フジバカマ、キキョウの四種は
絶滅の危機にあるが、静岡の世界農業遺産認定地域では七草すべてが見られる。


自然はあるがままにしておいて、人の手が入らない方がいいと思っていたが、
そうでもなく、適度に人の手が入ることで守られていく自然もある。

http://www.at-s.com/news/detail/1174155851.html
茶草場農法をゆるキャラがPR

2015年1月13日火曜日

最初から公的資金はノー!

「きりたんぽで知られる秋田県大館市の農家女性が直売所陽気な母さんの店で
体験交流を進め、2億円以上の年商を誇る」という記事を目にした。

直売所もいろいろな形態があるが、年商2億円というのはすごい。
そこで、陽気な母さんの店についていろいろ調べてみた。


この直売所は平成13年4月29日のオープンだから14年ほどになる。
そもそもは平成9年の秋田県「農村女性いきいき村づくり活動」の助成を受けて、
地区のお母さんたちが勉強を進めていき常設の農産物直売所をつくろうとなった。

大館市にかけあったが反対運動もあり、市は断念した。
それならば自分たちでということになり、女性農業者88名が結束して
「陽気な母さんの店友の会」を設立して13年のオープンの運びとなる。


公的資金を入れずにスタートし、当初は会員の出資金でつないだが、
運営資金に苦労はつきなかった。

金融機関にかけあっても女性活動には融資してくれないという厳しい現実があった。
そこでリース料は会員全員で保証することにし、リース代金を自分たちで稼ぐという
強い信念のもとに運営を続けていった。

運営にあたっては年間8000万円が必要で、そこを最低目標にして頑張った。


平成17年度の売上の内訳を見ると、食堂、体験、出張販売、食材供給、
インターネット販売など含めて1億8千万円となっている。

食材供給といってもお店の販売だけではなく、学校や施設への供給があり、
市内中心部の商店の空き店舗での出張販売もある。

商店街出張販売は地元要望により18年から週2回から3回へ増やした。
この活動は商店街活性化に寄与するところが大きい。

インターネット販売も東京の特約店からの注文を受け、売上げは年間1000万近い。
それに剪定や田植えなどの農作業体験、きりたんぽ、そば打ちなどの郷土料理体験、
草木染めなどの手工芸体験などを月10回程度実施している。


とにかく、いろんなことに前向きにチャレンジしている積極性がすばらしい。
それと、最初から公的資金を入れずにスタートしたのが、
自分たちの力でという大きなエネルギーへとつながったのだと思う。

http://www.sastage.net/yoki
陽気な母さんの店

2015年1月12日月曜日

えべっさんをめぐる。

年が明け初詣に出かけておみくじをひく、熊手を買う、絵馬をかける…
などなどいろいろな夢や思いを新年にたくしてみる。

こうしたゲンかつぎというのはふだんの暮らしの中でもよくあり、
縁起のいい品を身につけたり飾ったりすることも多い。


招き猫、お多福、七福神などは福招きのシンボルキャラクターであり、
多くの人に古くから長く愛されてきて、今も絶大な人気を獲得している。

なかでも七福神のひとりである恵比寿天は神社にまつられたり、
町中に石の象が置かれたりしている。


佐賀では「えべっさん」と呼ぶが、石像が佐賀市内だけで808体もあるという。
JR佐賀駅ホームには「恵比須 その数 日本一」との看板もある。

この縁起のいいえべっさんを活用しない手はないということで、
「さが恵比須八十八ケ所巡り」というイベントが2011年から開催されている。

いわゆる巡礼型のスタンプラリーであるが、
パンフレットを見ると「忍者恵比寿」「あめゆ恵比寿」「ハンサム恵比寿」
などそれぞれに名前がつけてあって面白い。

また、88それぞれのえべっさんを紹介する世話人がついていて、
えべっさんに関するエピソードを語ったり、世話人のお店の紹介を
ちゃっかり入れ込んだり、商売繁盛の精神ももりこんである。


佐賀県には宝くじの神様をまつった宝当神社もあり詣でる人も多いが、
実際に佐賀県内での宝くじ当選確率が異常に高いとのデータもある。

こうした縁起ものをネタにまちを活気づける、という手法は、
安易にカジノをもってくればという発想よりも共感の輪が広がるにちがいない。

http://www.pamph-navi.jp/art/view_dynamic/pdfView.php?src=pam10010927
恵比寿八十八ヶ所巡り

2015年1月10日土曜日

天下取ったる

昨日はリンゴの話だったが、今日は同じフルーツでもイチゴについて。

年が明けて新年は2015年。下二桁、つまり15はイチゴ年と無理に読ませる。

すると、イチゴ年はなんと甘さと香りで世界制覇を狙うイチゴの頂上決戦が
くりひろげられるのではないかと「とちおとめ」の産地栃木県が息巻いている。


同県はイチゴの作付面積(13年連続)、収穫量(46年連続)、出荷量(43年連続)、
産出額(18年連続)の部門で日本一の座に君臨しているイチゴ王国なのである。

代表品種「とちおとめ」は品種登録から19年もたっているのに、
現在も国内シェア1位。レスリングの吉田沙保里選手のような存在である。


しかし、「とちおとめ」をチャンピオンの座から引きずり降ろそうと、
福岡県が絶対王者となるべく育ててきた「あまおう」が追い上げてきている。

「あまおう」はその名の通り、あかい、まるい、おおきい、うまいと
四拍子そろった自慢のイチゴで首都圏でも人気が高く虎視眈々と王座を狙っている。

ほかにも「さがほのか」「紅ほっぺ」「やよいひめ」など強力なライバルが
しのぎを削っている状態だ。


そこで、栃木県では「とちおとめ」が君臨しているうちに後継者をということで、
他の追随を許さないプレミアム感の強い「スカイベリー」の投入体制をつくった。

「スカイベリー」は、より大玉で、より甘くジューシーな味わいということで、、
東京都中央卸売市場大田市場での初値は最高級品に1パック2万円がついた。

ネーミングの由来は、群馬県との境にある日本百名山「皇海山(すかいさん)」で、
大きさ、美しさ、おいしさがすべて大空に届くようにとの願いが込められている。
スカイベリーは延べ10万株のなかから選ばれたという超エリートでもある。

このイチゴ頂上決戦、天下を取るのはどれだ!

http://www.tochigi-skyberry.jp/
スカイベリー

2015年1月9日金曜日

紅の夢

「ふじ」の名で親しまれているリンゴは、青森県の弘前大学農学生命科学部
付属藤崎農場で生まれた。

こうした新品種の中で良質のリンゴが生まれる確率は数千から数万分の1とか。
それだけ、いろんな種類のリンゴをかけ合わせて育種していくわけである。


その育種の中で2つの偶然が重なって誕生したリンゴがある。
見かけも赤いが、包丁を入れて割ってビックリ、中身も赤い「紅の夢」である。

偶然その1
・紅玉にスターキングデリシャスという種を交配したのに、昆虫かなにかの
 いたずらによって別の種の花粉がついたこと。

偶然その2
・紅玉についた別の種のリンゴの木が、たまたま果肉が赤くなる品種であったこと。

偶然その1は、他の分野でもひょっとしたらある、あるというレベルかもしれない。
ところが偶然その2を詳しく見ていくとミステリーもどきの話が存在した。

紅玉についた別の種のリンゴの木は「エスターゴールド」という名前で、
ふつうゴールドの名前がついたリンゴは果皮も果実も黄色である。

なのに、なぜ赤い果皮で赤い果実の紅の夢が生まれたのか。

そこで、紅玉についた別の種のリンゴの木のDNA分析を行ったところ、
なんと本物の「エスターゴールド」ではないという事実が判明したのだ。

では、なんという品種かというと、まだ名前のないリンゴの木であった。
その木はエスターゴールドの台木として使われ、
エスターゴールドが何らかの原因で枯れてしまい台木が育ったというわけだ。


こうした偶然で「紅の夢」という世の中にないリンゴが誕生したわけだが、
ホームページにはこんな文章が添えられている。

「よく果樹の世界では、一生懸命育てている人のところには
 神様がプレゼントをくれるといいます。
 この2つの偶然で生まれた「紅の夢」は、長年りんごの研究を続けてきた
 塩崎名誉教授に神様がくれた贈り物なのかもしれません。」

同じ青森で無農薬リンゴを育てた木村秋則さんにも、
たしか神様からのプレゼントだったみたいな一節があったような気がする。

http://nature.cc.hirosaki-u.ac.jp/kurenainoyume/history.html
紅の夢

2015年1月8日木曜日

北からの真っ向勝負

北海道のアルコールといえばサッポロビールでありニッカウヰスキーである。

サッポロビールは、薩摩藩英国留学生の一人であった村橋久成の功績大で、
北の大地と南の熱い地はアルコールでつながっている。

薩摩はもともとビールではなく芋焼酎の本場であり、なんでと思うが、
同じアルコールでも醸造酒のビールについて、村橋は深く学んだことだろう。


逆にサッポロビールゆかりの地である北海道にはサッポロソフトという焼酎がある。
さわやかな口あたりの甲類焼酎で、道内にはファンも多い。

このサッポロソフトが誕生して50年になる。
メーカーである札幌酒精工業のホームページのコピーがふるっている。

北海道に根ざした酒造メーカーとして歴史を重ねてきた札幌酒精。
フロンティア・スピリットに導かれ田畑を耕した人々、
資源採掘に汗した人々、ビジネスの名の下に靴磨り減らした人々
北の大地に自らの可能性を懸け頑張った愛すべき北海道民にとって
安らぎの友として親しまれた『サッポロソフト』。

どさんこ焼酎であるサッポロソフトの主原料はサトウキビである。
北の大地北海道でサトウキビが取れるのだろうか、ふと疑問がよぎる。


それはさておき、札幌酒精工業が次に目をつけたのはサツマイモであった。
鹿児島産芋焼酎のほとんどに使われている黄金千貫という品種である。

そもそも北海道での栽培は無理だと言われていた黄金千貫を2003年より試験栽培。
2~3年して安定的に栽培できることを確信し、遂に2006年から黄金千貫を使った
本格焼酎の生産を開始したのである。

黄金千貫のみを使ったどさんこ本格焼酎は「喜多里」と命名された。
喜多里の商品紹介ページは、次の一文がある。

北海道発『本格焼酎への挑戦』
「本格焼酎といえば九州」そんな通説に真っ向勝負!原料づくりから手がけ、挑みます。

北からの真っ向勝負に、芋小焼酎の本家本元鹿児島はどう受けて立ちますか?

http://www.sapporo-shusei.jp/index.shtml
氷よりも、空気よりも、なお透明なこの一杯

2015年1月7日水曜日

「義」のある仕事

蒔いた種が鳥に食べられたり、せっかく育った農産物が鹿や猪の餌食になったり、
鳥獣被害はあちこちで聞く。

鳥獣被害から守るために防護ネットを張ったり、ハンターを動員して
捕獲や駆除をしたりするが、最近はハンターの数も少なくなったと聞く。


そうした狩猟によって捕獲した鹿や猪などを中国に輸出できないか。
そんな相談が日中間のコンサルティングをしていた河野広介氏の
ところへ寄せられた。

さっそく河野氏は国内の狩猟肉の現状を知るべく調査を始めた。

そもそも鹿肉や猪肉 は他の畜産肉と異なり流通経路が整備されておらず、
処理しても売れないという現状があった。

とりわけ民間の処理施設は家族経営で規模の小さいところが多く、
都市圏への出荷や外国への輸出はむずかしいことがわかった。


そこで河野さんは、その小規模な処理施設を束ねて、
供給量を安定化させるためにさばき方・解体処理の方法・商品の規格を統一した。

そして加工・出荷体制を整えると、卸先である全国の飲食店へと売り込みをかけ
流通を確保していった。

流通量がどんどん増えていき、今は河野さんが拠点を置く大分県では間に合わず、
狩猟範囲を九州全域へ広げようと奮闘中である。

いわゆる狩獣肉流通の流れの川上(猟師・加工場)から川下(卸・飲食店)までの
すべてを調整して、一つの商流をつくり上げていこうという仕事である。


河野さんは教師だった親の影響もあり、
「仕事はお金をもらうためだけにするのではなく『義』のためにするするものだ」と
考えている。「義」とは打算や損得のない人間としての正しい道のことである。

http://mainichi.jp/area/oita/news/20150101ddlk44040164000c.html
創生!おおいた:「椿説屋」 ジビエで「天下を」

2015年1月6日火曜日

丼で県を盛り上げる

去年、鳥取県は期間限定で「蟹取県」に改名するというニュースを目にした。

耳障りがイマイチよろしくないので、どうかなと思ったが、
先日テレビのバラエティ番組でタレントが蟹取県の話をしていて、
まずまず浸透してきているのかもしれない。


そして、今度は福井県が「福丼県」プロジェクトをスタートさせた。
プロジェクトの立ち上げにあたって、こんな主旨と希望が述べられている。

福井県は、47都道府県に先駆け、丼文化先進県としての名乗りを上げます。
福井県は、お米の代表的品種「コシヒカリ」の発祥の地であり、
その作付面積は、昭和54年以来、全国一位を誇ります。
また、ソースかつ丼、しょうゆカツ丼のブームにも支えられ、
カツレツの消費も日本一です。
(中略)
今こそ福井県がひとつになり、福井県民80万人が総出で、丼でおもてなしをします。
丼に全ての夢と希望をのせて、 福丼県、はじまります。


丼文化先進県とは初めて聞いたが、食を中心に据えて地域全体を
盛り上げていこうという意図はよくわかる。

それに、食だけにとらわれず、丼という器⇒焼き物、箸⇒木工芸
などなど関連する地場産業を巻き込んだ仕掛けにしている。

また「丼ツーリズムinふくい」というガイドブックを作り、
県内の丼めぐりを楽しんでもらおうという試みもおもしろい。


今年3月に北陸新幹線が開業し、富山や石川は東京にぐんと近くなる。
当然、福井県もその恩恵を受けるわけで、福丼県のPRには好機である。

うどん県、蟹取県、そして福丼県、さて次はどんな県が生まれるのだろう。

http://fukudon.jp/
福丼県

2015年1月5日月曜日

暮らしの中のいやしと楽しみ

年が明けて歌舞伎や落語といった古典芸能にひたる機会が増え、
芝居小屋や寄席は大賑わいである。

こうした芸能のルーツはいろいろあるが、
その目的とするところは、見る人にひとときのいやしと楽しみを与えること。

とりわけ農村で生まれたものは豊作を祈願したり、
豊作だったことへの感謝の気持ちと慰労の意味で舞い踊ることが多い。


兵庫県の神戸といえば農村とは関係ないみたいなイメージを抱くが、
北区と西区には計4箇所の農村歌舞伎舞台がある。

桟敷席などのちゃんとした客席があるわけではなく、
観客は舞台の外の青空天井の境内から芝居見物となる。

演目は「鳴る神」とか「白浪五人男」など歌舞伎座にかかるのと同じだが、
役者さんは尾上○○さんとか市川○○さんではなく保存会の面々。

女性が演じてもOKで、女性5人の白浪五人男になったりもする。

格好つけない、もったいぶらない。
いわゆる、ありのままの舞台でありのままが演じ続けられている。


無論、向上心も高く、農村歌舞伎の演じ手等の発掘・育成を目的として地域団体が、
農村歌舞伎体験教室を開いたりしている。

歌舞伎のけいこを中心に、道具にふれたり、化粧など、幅広く体験することができ、
先々農村歌舞伎出身の役者さんが歌舞伎座の舞台に立ったりするかもしれない。

それはさておき、地域にのこされた施設をおおいに活用して、
地域を明るく、楽しく、元気にしていこうとする取組みには大きな拍手を送りたい。

http://blog.livedoor.jp/pegasus2011-nousonkabuki/
神戸農村歌舞伎保存会

2015年1月3日土曜日

特別ではないけど大切なもの

決して特別なものではないけれど、とっても大切なもの、
それが「うんなん作法」です。

目には見えないものだけど、ずっと残していきたいもの、
受け継いでいきたいもの、それが「うんなん作法」です。

というフレーズが耳に残った。


「うんなん作法」つまり島根県の雲南地方の暮らしの中に
散りばめられている大切なものを作法と呼んでいるのがユニークだ。

具体的に、その雲南作法なるものをみてみると、

その1「町ですれ違う人に、必ずあいさつ」
雲南市内を歩いていると、道ですれ違う人が、老若男女、市内外の人問わず、
必ず挨拶をしてくれる。ふるさとに帰って来たような気分になる。

その2「ぼくらの運動会は町のみんな全員参加」
雲南市内の小学校の運動会は町民全員参加で、小学生よりも大人の人数が多い。
子どもも大人も一緒になって運動会が続けられる工夫をしている。

という具合で、ひょっとしたらよその地域にもあるかもしれないけれど、
雲南の暮らしの中で身近にあるあたたかいふるまいや価値観を、
大切にしていこうというのが、この活動である。


活動の主体はNPO法人「おっちらぼ」という団体で、
雲南市主催の次世代育成事業「幸雲南塾~地域プロデューサー育成講座~」の塾生が
中心となって若者と地域の活動を支援している。

同NPOは島根県内にU・Iターンして地域活性化や人口増の取組む人材を育成しようと、
県が2012年から東京で開いている連続講座「しまコトアカデミー」をサポートし、
効果の方もじわじわと上がっている。

私たちの身のまわりにも、特別ではないけれど大切なものがあるはずだ。

https://faavo.jp/shimane/project/131
ふるさとのあたたかい作法に名前をつけよう!

2015年1月2日金曜日

志を同じにする

新聞が発行される、万国博覧会が開催される、近代的図書館が開館する、
新橋~横浜間に鉄道が走る、太陽暦が採用される…
などなど近代の夜明けである明治5年にはいろんな文明の灯りがともった。

その中で、明治新政府が総力を挙げて取り組んだのが、
産業革命の礎石といわれる群馬県富岡製糸場の創設である。

わが国初の機械を使った製糸場であり近代化の象徴でもあった。
主要な建物は、木の骨組みに煉瓦を積み入れて造る木骨煉瓦造となっていて
屋根は伝統的な日本瓦で葺いてある。


昭和62年、114年の長きにわたった生糸の生産は終了したが、
昨年6月の第38回世界遺産委員会で世界文化遺産への登録が正式に決定した。

創業を停止した翌年の昭和63年、数人の有志で「富岡製糸場を愛する会」を
つくり、富岡製糸場の価値を知るための学習会を開いたという。

愛する会の地道な活動が続けられ、2003年県から世界遺産登録推進の発表。
そこで会では活動を全市民に開放し登録への大きなうねりが生まれていく。

世界遺産登録という志を同じにした多くの人の思いと地道な活動が実って、
昨年の朗報となるが、祝賀パレードには6000人が参加した。


地域でこうした共有の宝をもつことの意義は大きいし、
その宝を守り伝えていこうという活動の中で、もうひとつの宝が生まれる。

富岡製糸場の場合、たんなる文化遺産にとどまらず、産業、建築、技術、
機械などいろんな分野からの価値が高く近代を語るに欠かせない遺産である。

世界遺産登録への道のりをたたえるとともに、登録後のあり方、関わり方
というものにも目を向けていきたいと思う。

http://www.silkey.e-arc.jp/
世界遺産への路のり