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2015年5月1日金曜日

わが身を犠牲にして



義俠・義士・義婦・義勇・義軍・義挙・義憤・情義…
「義」とは利害をすてて条理に従う。公共のために尽くす気持ちとある。

無償の愛とか言えばマザー・テレサみたいで共感する人も多いが、
義理人情をふりかざせば、なんとなく古~いと言われそうなところもある。


しかし、今も昔も「義」を貫く人はいて、義民などとして讃えられる。
1688年というから幕藩体制が落ち着き、浮世を謳歌する元禄年間に入った頃のこと。

松山藩筒井村の農家に作兵衛という男が生まれた。
子どもの頃から働き者で、朝から晩まで畑で一生懸命働いた。

どんなにやせた土地でも精魂こめて手入れをすれば必ず良い畑になるという信念で、
事実、彼の手にかかると荒れ地も見事な作物が実る畑となった。


ところが、亨保17年(1732)飢饉が松山藩を襲う、長雨、洪水、ウンカの発生…
米はほとんど収穫できず、餓死していく者が増え続けた。

作兵衛も妻を病気で亡くし、父親と息子は餓死していった。
作兵衛自身も衰弱がひどく、それでも病身に鞭打って畑を耕そうとするも倒れてしまう。


寝込んでいる枕元に麦俵があり、見舞う人たちがその麦を食べたらと促した。

ところが作兵衛は
「一粒の種子が来年には百粒にも千粒にもなる。これを食べたら、
来年は種子ができません。わが身を犠牲にして多くの人の命が助かるなら本望です」

義農・作兵衛をしのぶ「義農祭」は4月23日に松前町で開かれた。 

http://ehime-c.esnet.ed.jp/jinken/17ginou.pdf
義農作兵衛

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