「地方の時代」という言葉はなつかしい。というか、手垢がつきすぎた。 中央VS地方の図式で見られ、ほとんどが地方の負け。 あまり負け続きじゃあ面白くないだろうと、 地方創生などといったおまじないの言葉で政府が地方をなぐさめる。 でも、そんなものはどこ吹く風で、がんばっている人たちがいる。 ないならないで、知恵を出す。知恵がなければ汗を流す。 ちょっと気になる地方をウォッチしてみたいと思う。
2015年8月20日木曜日
濡衣塚
祭りの起源をさぐっていけば、「へえ~」と思うことに出くわす。
福岡市博多区千代にある「濡衣塚」という石碑の前で先日供養が営まれた。
濡衣という言葉は無実の罪であり、今でも冤罪などとともによく使う。
では、この濡衣塚に眠っている人物はだれか?
時は1300年近くさかのぼった聖武天皇の時代、悲しいできごとが起こった。
筑前の国司として佐野近世夫婦と娘の春姫がやって来た。
筑前に在任中、佐野近世の妻が亡くなり、佐野は土地の女を後妻に迎えた。
佐野と後妻の間に女の子が生まれたが、後妻にとって疎ましいのが春姫。
そこで、後妻は一計を案じる。春姫が漁師が使う釣り衣を盗んで困る、
と知り合いの漁師を使って国司である佐野近世に訴えさせる。
訴えとともに、その証拠を見せられた。
証拠というのが、濡れた釣り衣を着て眠る春姫の姿であった。
佐野近世は逆上し、わが娘をその場で切り捨てた。
一年後、無実の罪を訴える春姫が佐野近世の夢枕に現れ、
近世は自分の行動を悔い、出家して春姫のお墓を建てて弔ったという。
それが濡衣塚と呼ばれ、今はお盆の時期に供養祭が営まれている。
http://www.fukuokayokatoko.com/?MN_disp_report=1;g=11;a=1;i=35
濡衣塚
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