<PR>スピーチ原稿作成サイト話王Open!

<PR>スピーチ原稿作成サイト話王Open!
<PR>えっ、スピーチ?うわっ、困った…そんなお悩みをスッキリ!

2016年3月10日木曜日

先人の知恵


食べものに事欠かない現代からすると、ギョッとするような数字である。
江戸時代は飢饉が35回ほど襲っているが、中でも悲惨なのが天明の飢饉。

天明3年は夏でも綿入れを着なければならないほどの低温が続いて、
おまけに浅間山の噴火も加わり、お米はほとんど育たなかった。

津軽藩では人口の3~4割にあたる8万人ほどが餓死した。
お隣りの盛岡藩でも6万人ほどが餓死し、人口の2割を失った。


利根川の左岸に位置する群馬県高林地区の伝承によると、
天明の飢饉の時、大凶作に地区の住民が苦しんでいた。

そこに木造の不動尊像が流れ着いたので、農民たちは木像をまつった。
わずかに残った米や雑穀で餅を作り、菜っ葉を入れて焼き餅にし、
不動尊に供えた後、分け合って飢えをしのいだという。

そうした知恵で、飢饉の中にあっても餓死者を出さなかったことに感謝し、
高林地区の住民は救済食であった焼き餅づくりを再現している。

苦しい時にこそ知恵を出し合って、お互いが助け合う。
こうした伝統が息づいている地域は、いざ、という時にも生き残れる。

http://mainichi.jp/articles/20160223/k00/00m/040/082000c
天明の大飢饉乗り越えた「焼き餅」再現

0 件のコメント:

コメントを投稿

お気軽にメッセージをお寄せください。